
みなさんは教員という仕事に興味がありますか?
または今教員をしているけれどこの先続けていくのか悩んでいたりしませんか?
教員に憧れを持って努力し続けた今まで。
そして実際に教育現場で働いてみて感じたギャップ。

今回は
- 教員という仕事を辞める決断をした理由
- 決断後どうすれば良いか
これらをまとめました!
私は、「教員の仕事が辛いな…」と思ったら、よくインターネットで、同じ思いの方がいないか検索していました。
なので、私と同じ気持ちの方がいたら、少しでも気が楽になったり、今の状態を変えるきっかけになると嬉しいなと思って、この記事を書いています!
では、教員を辞める決断をした理由と、その後の行動を紹介していきます!
Contents
教員の仕事が辛い。6年目でやめる決断をした理由

教員の仕事は、楽しいこともたくさんありましたが、辛いことも多かったです。
「やりがい」は多く、感動することも多い仕事です。
一方で、「働くために生きている」状態になりやすい仕事だと思っています。
私が、教員を辞める決断をした理由は、おもに3つあります。
部活動が地獄
勉強したくない子どもたちに教えるのが辛い
仕事を頼まれやすい人に業務がかたよる
これらが主に原因で、「もう続けられない…」と思いました。
それぞれ紹介していきます!
教員が辛くてやめた理由①:部活動が地獄
1つ目の理由は、やはり部活です。
ブラック部活という言葉ができるほど、部活を担当したくない教員にとっては、部活動は教員生活の大きな負担です。
わたしの場合はこの部活動問題が教員を辞めた理由の大きな割合を占めています。
部活動指導が地獄なんです!
基本的に、ほぼ全ての(若い)先生は部活動の顧問に任命されます。
自分が教えられる部活動に配属されればまだ幸せですが、
元茶道部、運動苦手な私には有無も言わせず「運動部副顧問」というポジションが渡されました。
小さい学校は、部活動の選択肢も少ないため、運動部に所属させられることがほとんどだと思いまs。
副顧問だからラッキー?!となんて言ってられません…
私を待ち受けていたのは、過酷な現実でした。
メモ
- 土日はほぼない。(リフレッシュいつするの?)
- 何もできないので見ているだけの3時間。(体が冷え冷えです笑)
- 大会のほぼ1日の引率(土日の長時間拘束)
- 部活動は"ボランティア"にも関わらず、休むときは主顧問の先生に謝らなければならない「もやもや」
自分ができることがほとんどないので、無力感。しかも、唯一の楽しみであり回復の時間である土日が潰れてしまう。また、授業作りなどの日々の業務が犠牲になったり…私にとっては地獄でした。
最近は先生によっては部活動顧問を拒否し、部活を持たない先生も増えているようです。
ただ、若いうち(30代くらいまで?)は拒否は難しいように感じます。
うちの学校の管理職は「教員の負担軽減のためにも全員顧問制は外せない。」と言い張り、私も面談の時に顧問を外してほしい旨を伝えましたが叶いませんでした…。残念無念。
ただ、部活動に所属するメリットとしては、子どもたちが頑張っている姿をみるのは感動します。
あと、どの勉強よりも一生懸命やっています(笑)自分の好きな事なので、子どもたちにとっては大切な時間なんです。
ただ、私には負担でした。
部活動の問題が改善されていたら、まだ教員を続けていたかもしれません。
教員が辛くてやめた理由②:勉強したくない子どもたちに教えるのが辛い
2つ目の理由は、自分の教科を勉強したくない、そもそも勉強したくない子どもたちに強制的に教えなきゃいけないのが辛かったです。
今までは勉強したくない子どもたちにも自分の担当する教科の力をつけさせたいと思っていました。
それが子どもたちのためだと思っていた…
しかし、今の時代AIも精度を増し、今まで人がしていた仕事がなくなってきています。
こんな環境の中で「ある程度の教科をある程度いやいや勉強する」時間は子どもたちにとってもったいないと思うようになってしまいました。
それに子どもたちの中には勉強が苦手で勉強したくない子どもたちがたくさんいます。しかもそれぞれ勉強以外の好きな事や得意な事をもっています。
その子たちに「もっと好きなこと勉強できればいいのに」と思いながら教えるストレスはすごいものでした笑
「勉強したくないのにやらなきゃいけない子どもたち」と「教えなきゃいけない私」、お互いにすごいストレス…。
「子どもたちがやりたいことを選んで、自ら学習する場」に学校がなれば、もっと授業が楽しくなるはずです。
教員が辛くてやめた理由③:頼みやすい人は業務量が増す
3つ目の理由は、「仕事がある程度できて、頼みやすい人は業務量が増すんだな!」という恐ろしい事実を知ってしまったからです。
仕事できる人になりたい。ずっとそう思って頑張ってきました。
しかし6年かけて気付いたこと…それは「ただをこねられない人は負け」ということです涙
先生方の中には選ばれし者がいて、その人たちは「この仕事はいやだ」と伝えることができんです。
そしてその人たちの望みが優先的に叶うのです。(主に年配で権限があるみたいなかんじの先生方)
40代の先輩先生は「だだのこねた人の勝ちだから。だだのこねかたを練習した方が良いぞ。」や「こいつやばいと思わせたもの勝ち」などというアドバイスをくれました(笑)
もちろん実践できず、与えられた仕事をこなしていると、いろいろな業務がふりかかってきました。
- 担当教科(自分の教科と特別支援の子の授業でほぼフル!)
- 校務文章(指導部の仕事と教務部の仕事の掛け持ち状態)
- 部活動副顧問、さらに他の放課後活動も補助
- 部活動委員会(部活動をとりまとめる本来業務ではない謎の組織)
- 普通学級と特別支援学級の副担任というハイブリッド
先生によって業務量に差があり、悲しいことに「頼みやすい人の負け」なんだなぁと実感してしまいました。
いろいろな雑務が、まわってきて、結果すごく忙しくなるという感じです。
以上の3つが、「教員辛すぎ!」とおもって、辞めることを決断した大きな理由です。

教員をやめる決断。次はどうすれば…?

次に、
「教員が辛すぎる!このままじゃ楽しく生きられない!もう辞めてやるー!」
そう思ったら、どのように行動すれば良いのか解説していきます!
実際に私のリアルな体験談も入っているので、流れをイメージしていただけると思います。
まずは管理職に相談!
「辞める」と決断したら、まずは管理職に相談しましょう!
心が決まったら早い方がいいです。
私は6月頭の管理職との面談の時に伝えました。
今年度の目標とか、悩みとかをいろいろ話していると、
「担任もったことある?来年度はどうしたいと考えている?」と校長先生が聞いてきたので、
ここで言うしかない…と決めていた私は
「来年度、続けようか悩んでいます。」と伝えました。もちろん管理職はびっくり!目をまんまるくして「はあ?!やめるってこと?」と言っていました。
そのあとは正直に、そう決めた理由や思っていることをいろいろと話しました。
学校の人事が動く前、つまり10月には決断した答えを聞かせてくれ、と言われました。
その前に「教員は楽しい仕事だ」「やめるのは簡単」という話を聞かされました。
結構心を揺さぶりつつ、止められたりするので、この類の話はされる覚悟しておいた方が良いかもしれません笑
1月ごろから退職の手続きがスタート
10月の面談で、気持ちに変わりがないことを伝えたら、退職手続きが進んでいきます。
事務の方とやりとりをし、1月〜2月ごろに、退職に関する書類を記入します。
あとは、3月の人事の発表で、退職が発表されるのを待つだけです。

私は、仲の良い先生には伝えていましたが、「周りの先生方のモチベーションが下がるかもしれないので、あんまり退職することは言わないでね」と教頭先生から口止めされていたので、言わずに過ごしていました。
この期間がなかなか辛かったですが、退職の発表後は責められたりすることもなく平和に終わりました笑
しっかり年度末まで続けたので、先生方に負担がかかったりしない点もよかったのだと思います。
ただ、自分の体・心が一番大事なので、「もう限界!」と思ったら、年度末まで待つ必要はないです!!仕事はどうにでもなるので、自分を大切にしてあげてくださいね!
自分の心に正直に生きるのが一番。無理はしないで!
今日は、私が6年間経験した教員を辞めた理由と、退職までの流れを紹介しました!
教員の仕事は、「楽しさ」「感動」「やりがい」もたくさんありますが、その分、時間的な拘束や、心の疲れも多く、仕事が人生の負担になりすぎてしまうこともあると思います。
体を害したり、精神的につらいまま続ける必要はありません。
私は初任1年目の時に「教員に向いていないんじゃ」と感じていました。「まだ慣れていないだけ」と言い聞かせていましたが、その時の直感は正解でした。
もう我慢しつつ、自分を励ましつつ、6年もたってしまいました。
教員を経験したことは後悔していませんが、辞める決断をして新しい挑戦をしている自分の決断は正しかったと思っています。
人生は1度きり。選択肢は1つではありません。
自分に正直に、楽しく生きていきましょう!!!!
教員が辛いと思っている方が共感できたり、少しでも心が明るくなったり、辞めたいと思っている方の背中が後押しできたら嬉しいです。
無理しないでくださいね!
こっそりあなたの人生を応援しています!